◆今日の一品◆ |
今日も全アイテム再配布ものだったので、ほのぼのタウンの「スーパーボール屋台」をご紹介します。ほのぼのタウンにはこのほかにも屋台が出ていて、「あんず飴」「クレープ」「たこやき」の屋台があります。 スーパーボールは昭和40年(1965年)、アメリカからやってきたおもちゃです。アスファルトやコンクリート路面なんかに叩きつけると、それこそどこに跳んでいくのかわからなくなるほどの弾力があります。大小いろいろな色や模様がありますが、当時、こどもたちには単色づかいのものは不人気で、サイケなマーブル模様や透明で中にラメが混ざっているもの、暗やみで発光する薄黄緑の蓄光・蛍光タイプが人気でした。そう、スーパーボールは遊ぶというよりもむしろむしろコレクションアイテムという感じでした。駄菓子屋さんでは単品でも買えましたが、こどもが夢中になるようなコレクション要素の高いスーパーボールはクジでひくようになっていて、なかなか欲しいものがゲットできないところが人気のもとにもなっていました。 スーパーボール、今でもこどもに人気があります。くだものの形や妖怪の目玉の形になっているものなど、まん丸ではないものもあり、スーパーボールで遊ぶというよりもまさにコレクションするものという流れは変わっていないようです。 |
「今日の一品」カテゴリーアーカイブ
2004年04月30日
◆今日の一品◆ |
今日は2003年の「端午の節句」の時期に配布になった「ちまき」が通常配布で登場しましたが、今日はタウンのアイテムから「和凧」をご紹介します。
和凧はデザインや形状にもよりますが、上げるのに少々コツが必要です。和凧を揚げるときは、電線に引っかかるとかなり危険なので、まず電線のない河川敷などがいいと思います。 カイトは和凧とは違い、風次第では後退することなく飛ばせます。カイトは無風でも遊べます。 |
2004年04月29日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたのでほのぼのタウンのアイテムから「3億円犯人ポスター」をご紹介します。タウンの住人のほとんどが、まだ生まれていなかった頃の事件ですから、なんで白バイ警官が指名手配? このポスターはなんだ?と思っていた人も多いかもしれません。 3億円事件は、昭和43年(1968年)12月10日午前9時30分頃、東芝府中工場のボーナス3億円(実際には2億9434万1500円)を積んだ日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車が、ニセ白バイの警官に現金輸送車ごと盗まれました。日本史上はじまって以来の巨額強奪事件で、3億円は今の貨幣価値でいっても30億円近い金額になります。 日本信託銀行国分寺支店から東芝府中工場へは道が空いていれば20分前後で行ける距離。もちろん、安全のため同工場までのルートはいくつかのルートがあり、行員は事前に知らされてはいませんでした。当日の朝、ルートがはじめて明らかにされ、現金を輸送することになっていました。輸送車は工場まであとわずかの府中刑務所裏の府中市栄町、通称「学園通り」にさしかかった頃、犯人は相当あせっていたのでしょうか、偽造白バイを隠していたカバーを引っ掛けたまま現金輸送車を追いかけ、輸送車の前を塞ぐようにして停車しました。現金輸送車の運転手が窓をあけ、「どうしたのか」と聞くと「あなたの銀行の支店長宅が爆破された。この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡があったので調べさせてくれ。」と言って行員を輸送車から降ろさせました。 実はこれより以前に支店長宛ての脅迫状が送りつけられていた為、その雰囲気に行員たちは飲まれてしまいました。犯人は、輸送車の車体にもぐりこみ、爆弾を捜すふりをして、隠し持っていた発煙筒に点火。「爆発するぞ!早く逃げろ」と避難させた直後に輸送車ごと運転し、逃走しました。 容疑者リストにのったのは実に11万人、私生活を犠牲にしてまで捜査した警官延べ17万人という空前の捜査は、結局犯人を検挙できず、昭和50年12月10日午前零時に時効が成立しました。さらに、昭和63年、民事の時効をむかえて3億円犯人は完全に法的な拘束が無くなりました。今犯人はどこで何をしているのでしょうか。盗まれた3億円はどこに? 多くのナゾのため、たびたびテレビ番組でも紹介され、ドラマ化もされています。記憶に新しいところで、織田裕二主演の「新説三億円事件」(1991年、フジテレビ)。 ビートたけし主演で「三億円事件」(2001年、フジテレビ)というのがあり、DVDにもなっています。 |
2004年04月28日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたのでほのぼのタウンのアイテムから「お団子」をご紹介します。ほのぼのタウンにはこのほかにもアンコのついたお団子のアイテムもありますね。イベントアイテムでお花見用の3色団子もありました。 お団子は法事やお葬式のときにも供えられるので、仏事に関係深い感じもしますが、そうと決まっているわけではありません。日本人がお団子を食べ始めたのは縄文時代からではないかと推測されています。当時身近にあったクヌギやナラの実(どんぐり)はアクが強いため、食べるためにいったん粉にして水にさらしました。そのアクが取れた粉状のものを土器などで糊状の粥や団子にして食べていたようです。奈良時代に、遣唐使が「団喜(だんき)」というものを持ち帰っています。これは米の粉をこねて丸め、ゆでて甘味料を塗ったもので、いまの団子とほとんど変わりません。この団喜は、はじめ仏前のお供え用として使われていたので、いまでも仏事に多く登場するのでしょう。室町時代にはすでに串ざしの団子があったようで、1600年代には団子は串に5つさすのが普通でした。 一般的になったのは、江戸時代の1700年代で、その頃には「花より団子」と江戸いろはかるたでうたわれています。いまでもお花見には、酒と弁当などは欠かせないと思いますが、それよりも団子が主役になるほど当時流行したようです。 江戸時代の中頃には、祭りの日に神社などが厄除けとして団子を売り出したのがきっかけとなって、各地でさまざまな団子が作られました。この頃には、砂糖や醤油も使われるようになっていたので、いろいろな種類の名物団子が各地で生まれたのです。茶つき団子、笹団子、おかめ団子、吉野団子、草団子などなど。 当時から続いている有名な物のひとつに「言問団子(ことといだんご)」があります。この頃の団子は、串刺しのものを手に持って食べるのがふつうでした。江戸末期、花見の名所で渡し場のあった向島に団子屋を開業した外山佐吉は、串に刺さず、きれいに丸めた団子に黒もじを添えて出しました。この団子はふつうの団子よりも値が高かったのですが、墨田川沿いの散策にやってくる文人墨客にもてはやされたといいます。 そのほか、有名なものは、佐渡の「沢根団子」、京都下加茂神社の「みたらし団子」、岡山の「吉備団子」などがあります。一度、全国お団子巡りなんてしてみると楽しいかもしれませんね。 |
2004年04月27日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたのでほのぼのタウンのアイテムから「爆竹」をご紹介します。爆竹で売れ筋ベスト3を見てみると「順利紅炮20連」、「牡丹紅炮20連」、「長崎爆竹20連」というところらしいのですが、国産よりも中国産が主流のようです。 点火によって燃焼し爆発音を出すものとしては、火をつけると煙が出て、最後にパンと爆発するのがファイヤークラッカー、スモーククラッカーと呼ばれるもの。火をつけると、パンパンと連続して音を出すのが爆竹。かたい場所にぶつけて、パンと破裂するカンシャク玉などがあります。 遊び方のポイントとしては、導火線付きの爆竹やファイヤークラッカーは、手に持たず、地面に置いて線香で火をつけます。導火線の無いスモーククラッカーなどは、点火位置を良く確かめて、線香で火をつけましょう。特に爆竹は点火すると、極めて短い時間で爆発音を発し、飛び散りますので、火をつけたらすばやく遠くへ離れること。広い場所で使用してください。 |
2004年04月26日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたのでピッケルタウンのアイテムから「石鹸入れ」をご紹介します。洋式バスにぴったりのデザインですね。 石鹸の歴史については諸説あって、どれが本当なのかわかっていません。その中でも有名なところをご紹介すると・・・・。 1万年前、人間が火を使うようになって獣肉を焼いて滴り落ちる油と木の灰が反応して、土の上に自然の石鹸が出来ました。その焼き跡の土を使うと、汚れが良く落ちるのを発見したのが、石鹸の始まりだとする説。今から約4000年前、小アジアのヒッタイト人がシャボンソウの灰を混ぜた水で手を洗ったこと、シュメール人が手や足、身体を洗うためにアルカリ液を作ったこと、これが石鹸の始まりとする説などです。しかしどれも今でいう石鹸といえるものではありませんでした。 石鹸=SOAPという言葉は、1世紀の学者プリニウスが残した「博物誌」に山羊の脂肪とブナの木灰からsoapをつくるという記述があり、それが元になっています。このときの石鹸も肌を乾燥させたり、湿疹の元になったりする粗悪なものだったようです。 ともかく石鹸は高貴な人が使用するものでした。一般人が使用するようになったのは、ヨーロッパでは200年程前、日本では100年程前からです。そして、石鹸の普及により、ヨーロッパでは伝染病による死亡率が激減しました。 第1次大戦中、石鹸の原料である油脂が欠乏した為、製造が困難になりました。そこで、ドイツが石油を原料に合成洗剤の製造に成功。その後、アメリカの石油資本による ABS(合成洗剤の原料)の生産増大や洗濯機の普及などにより、急速に洗浄剤の主流が、石鹸から、合成洗剤に変わっていったのです。 |
2004年04月25日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたのでピッケルタウンのアイテムから「セント・バーナード」をご紹介します。 セントバーナードというと、まず思い浮かべるのが、首に赤ワインの樽を下げた救助犬というイメージですよね。 救助犬の歴史は古く、西暦962年、ベルナール(バーナード)という修道士がスイス、イタリア国境付近の峠に遭難者の救助を目的とした修道院を建立し、犬を訓練して雪山での多くの遭難者を助けたのが始まりだと言われています。この峠(現在のグラン・サン・ベルナール峠)の辺りでは極寒、豪雪、雪崩等により多くの遭難者を出しました。16世紀に修道院が焼失し、それまでの記録は失われましたが、その後、峠にトンネルが出来る1964年までの約300年間、代々育成されてきた救助犬たちは、少なくとも2,500人の遭難者を救助したと伝えられています。遭難者救助は修道士から地元民に伝えられ、スイスの山岳ガイドの基礎となりました。そのため、スイスではサン・ベルナール(セント・バーナード)をガイドの神様と呼んでいます。 中でも歴史に残る有名な救助犬は、1814年に旅行者が猛獣と間違えて射殺したバリーという名の犬。バリーは生涯で40人以上の遭難者を救助しました。その後バリーにちなみ、この犬種はバリー・ハウンドという名称で呼ばれてきましたが、1828年にセント・バーナード・ドッグと改名され現在に至ります。現在のセント・バーナード・ドッグは殆ど長毛種ですが、雪の中で活躍するには短毛種のほうが良いので、救助犬には短毛種が使われました。 基本的に救助犬の犬種や血統に制約はありませんが、作業をする意欲の基となる好奇心、作業を続ける集中力、他人や他の犬に攻撃を仕掛けない友好性などが求められます。このような性格は生まれつきのものだけでなく、飼主の育て方によっても変ってきます。現在救助犬として使われている犬種には、ジャーマン・シェパード・ドッグ、ラブラドール・レトリーバー、ゴールデン・レトリーバー等がいます。 |
2004年04月24日
◆今日の一品◆ |
今日は以前、タウンのイベントであった「新アイテムショップ・ピッケルタウン編」にあった「トロッコ」が通常配布で登場しました。「トロッコ」をご紹介します。 トロッコは 「人車」とも呼ばれ、戦後、ベルトコンベヤーに変わるまで、炭鉱で石炭を運ぶのに活躍しました。 炭坑内は、落盤事故やガスが発生して爆発するなど危険性が高いため、囚人が働いていた時代もありました。朝鮮半島から連れてこられた人々が強制労働させられた時代もありました。大きな事故があり、多くの命が奪われたことも。労働者と会社が激しく闘った時期もありました。だけど、いつもそこには、豊かな暮らしのエネルギーのために石炭に熱い情熱と誇りを持った人々がたくさんいました。 日本における1次エネルギーの供給割合のうち石炭は14.9%で、エネルギー消費のうち石炭の占める割合は全エネルギーの17%を占めています。発電では18%、鉄鋼では72%、セメントでは80%となっています。日本国内では石炭は年間1億3019万トンが使用されていますが(2000年度統計)、そのうち鉄鋼で47%、電力で35%、セメント・窯業6%、コークス4%、パルプ・製紙3%などで、また、石炭は肥料、農薬、染料、医薬品、タイヤ、印刷用インクなどの原料となっており、炭素繊維の原料としても石炭が利用されています。石炭の燃焼による灰は、セメントの原料や建設・土木資材などに利用されるなど有効的な活用も行われています。 そんな日本ですが、世界で1番石炭を輸入している国でもあります。国内で消費される石炭のじつに約96%が輸入した石炭で、国内産は約4%です。かつては、北海道や九州を中心として日本各地に炭坑がありましたが、現在では北海道の太平洋炭坑と九州の池島炭坑だけになっています。1997年に三池炭鉱が閉鎖になったことも、記憶に新しいところです。 石炭は、数億年前の植物が湖や沼の底に堆積して腐らずに地層の内部に蓄えられ、さまざまな分解作用や地中の圧力と熱による変質作用によって炭素が濃縮されてできた化石燃料です。(石油・天然ガスはおもにプランクトンが変化した化石燃料) 石炭の種類は石炭化度(炭素の濃縮の程度)によって濃縮の高い石炭から順に「無煙炭」「瀝青炭」「亜瀝青炭」「褐炭」「亜炭・泥炭」に分類され、また利用のされかたによって「原料炭(製鉄の原料)」「一般炭(火力発電用ボイラーの燃料)」「無煙炭(練炭・豆炭製造用の原料)」に分類されています。 |
2004年04月23日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたのでピッケルタウンのアイテムから「卓上鏡」をご紹介します。鏡のフレームが真鍮製のおしゃれな卓上用の鏡ですね。 現代では、お手軽な値段で買えるし、どこのおうちにも必ずある鏡ですが、昔は貴重なお宝でした。 日本に鏡が最初に伝わってきたのは、紀元前と言われています。弥生時代から古墳時代にかけて中国の鏡がたくさん入ってきて、それらは今のように顔や姿をうつす物としてより、有力な豪族たちの宝物や祭事の器として珍重されました。古墳時代になると中国の鏡をまねた日本製の鏡も出てきます。3~4世紀に入いると、日本製の青銅、黄銅、白銅、鋳鉄の鏡が作られるようになり、これらは「倣製鏡」(ほうせいきょう)と言われます。これらの鏡を鋳造したのが、鏡作部(かがみつくりべ)といわれる人たちです。その鏡作部(かがみつくりべ)たちの中心として、鏡作坐天照御魂(かがみつくりにいますあまてるみたま)神社、通称「鏡作神社」が、今の奈良県磯城郡田原本町にあり、鏡の神様としては全国でもっとも由緒の深い神社と言われています。奈良の正倉院に伝わる多くの鏡は奈良時代を代表するものですが、一部は唐製だと考えられています。 平安前期の鏡も唐鏡の模倣に類するものが多く作られ、平安後期になって床鏡の影響をうけて新形式の鏡が現われ、鋳出の浮彫りも変わって日本独特の文様を持つ「和鏡」となりました。鎌倉末期になると、中国の鏡の影響を受けた新しい形式の鏡が出現し、 室町時代の後期になると、鏡に柄をつけた柄鏡(えかがみ)が出現しました。江戸時代になると、柄鏡はまた新しい鋳造法によって量産化されましたが、このころまでは、いわゆる金属鏡が鏡の中心でした。 金属鏡に変わるガラス鏡が日本に来たのは、1549年、スペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルが日本に渡来して、九州の諸大名にヨーロッパ製の珍しい道具を贈ったときとされています。つづいて1575年にはガラスの製法がオランダ人から長崎に伝えられ、ガラス鏡の新しい製造技術はその頃伝わったようですが、一般化されたかどうかは不明です。 ガラスの製造技術が伝わったのは、1716~1735年、長崎の職人が大阪に出てきてその製造法を伝えたのが最初のようです。1741~1744年には、堺に17名のガラス吹き屋がいたとされています。ただ、そのころの板ガラスの寸法は、大きなものでも25~6cmのものが普通でした。こうして造られたガラス板に水銀引きしてガラス鏡が作られるようになりました。それらは当時鬢鏡(びんきょう)と呼ばれました。、鏡が一般に製造され始めたのは、1740年代より1800年代での間だったようです。明治10年以降、鬢鏡から輸入板ガラス鏡へ移行し、明治16年頃より銀引き付舶来鏡が輸入され始めらました。一方では、輸入板ガラスによる鏡が水銀使用によらず銀引き法で造られ始めました。明治25年頃には硝酸銀使用の天日による銀引鍍銀法が開始され、大正15年頃に影日による鍍銀法が完成(砂糖と硝酸とアルコールの混合物を加えて鍍銀する方法)しました。 その後、昭和44年には我が国の板ガラス3メーカーにより銅引鏡が自動連続生産方式により製造されるようになり、安定した価格で一般に流通するようになりました。 |
2004年04月22日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたのでほのぼのタウンのアイテムから「暗記ペンセット」をご紹介します。
テスト前など暗記をするための赤いマーカーと緑シートのセットですね。覚えたいところを赤くマーカーして上からシートを重ねると真っ黒になって、覚える部分が消えるというアレです。 |
2004年04月21日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたのでほのぼのタウンのアイテムから「シャボン玉セット」をご紹介します。 石鹸を意味する「シャボン」の語源は、16世紀スペイン語のxabón(シャボン)に由来するそうです。(現代スペイン語で石鹸を意味する単語はjabón(ハボン)ですが、16世紀当時Jはシャ行で発音されていたらしいです。) シャボンを作るため、シャボン液、ストロー、大きいシャボンを作るために枠を使ったりしますが、シャボン液自体は、石鹸(台所用中性洗剤)で簡単に代用することができますが、シャボン玉を長持ちさせるための調合方法がいくつか考案されています。 一方、パーティー会場、舞台などでシャボン玉を飛ばして演出を行うため、大量のシャボン玉を自動的に発生させ、飛ばすシャボン玉発生装置がありますね。イベントなどで使われるシャボン玉発生装置の中には、水だけで泡を発生させる特殊装置を使い、周囲への影響を残さないようにしているものもあるそうです。 |
2004年04月20日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたのでピッケルタウンのアイテムから「ソネットタウン外伝の本」をご紹介します。ペロ市長が表紙を飾っているソネットタウン関係の書物です。「外伝」とは、逸話や噂話という意味です。ペロ市長から見たソネットタウンについて書かれているのでしょうか? ぜひ読んでみたいものですね。 最初はロケットタウン1つで始まったソネットタウンも、ほのぼのタウン、ドルフィンタウン、そしてピッケルタウンが加わり4つのタウンになりました。グランドオープンから約2年半で幕を閉じることになりましたが、いろいろな思い出とともに、メモリアルBOXの中でいつまでも残りますね。 |
2004年04月19日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたのでほのぼのタウンのアイテムから「サリーちゃんのパパのカツラ」をご紹介します。 サリーちゃんのパパとは、1966年に第1弾として人気を博したアニメ「魔法使いサリー」に出てくる、主人公サリーちゃんのパパで魔法の国の王様です。髪型が特徴的で、2本の角が立ったような髪型です。 「魔法使いサリー」は、魔法の国から人間の世界にやってきた小学5年生の女の子が魔法使いである事を隠しながら小学校生活を送るというストーリーです。「魔法使いサリー」はアニメが大人気となりましたが、アニメが始まる前に少女漫画雑誌「りぼん」で連載していました。 |
2004年04月18日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたのでピッケルタウンのアイテムから「ドルフィンブギの本」をご紹介します。ピッケルタウンにはこの本の他にも3種類の本が出ています。「ジャニス・ジョップリン」の本以外はなんだか自費出版っぽい本です。 自費出版という言葉が、よくわからず、誤解のもとになっているようなで、出版と編集と印刷の区別がわらない方が多いようです。自費出版という場合、それは出版社の利益まで負担するというものになります。よく理解されないのですが、出版社は印刷所ではありません。本ができたとして、印刷して製本して、その経費で利益が出るのは印刷所です。出版社はものを作る際の編集・校正にくわえ、マーケティング、営業、そして出荷、返品の処理、在庫管理、書誌管理を行っています。これは、印刷費などの製造コストとは別のものです。 多くの自費出版は、自費印刷であるというのが実態です。きれいに印刷し、きれいに製本するのが目的であれば、印刷所に直接頼むのがもっとも安価で得策です。原稿を見て、コメントをして、アドバイスがほしいのであれば、内容に関連している出版社をさがして、相談するべきです。その出版社がどんなジャンルの本を出しているのかは、日本書籍出版協会の検索で調べればすぐに判ります。出版社の実態が単なる印刷所の副業なのか出版社なのかの見分け方は簡単。日本書籍出版協会の検索ページでその出版社の名前を入れて検索してみれば、書籍として流通させているのか、それとも流通させていないのかがわかります。ただ、これは注文可能になっているということで、書店の店先に並んでいると言うことではありません。書店の店先に常時並んでいる状態にするというのは、実際にはかなり困難です。 ただ、趣味で販売などを目的にせず、本の形にして楽しみたいという場合は、単なる「製本」と言います。少量の場合は印刷所に頼まず、自分でPCを使って印刷し、市販の製本キットで本の形にするのが1番安上がりです。 |
2004年04月17日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたので、ほのぼのタウンのアイテムから「ラムネ」をご紹介します。 コンビニや自動販売機などで売られている清涼飲料水はすごく種類が多くて、大量生産によって価格も安いのが当たり前になってきていますが、駄菓子屋さんの定番商品「ラムネ」は100年の歴史を持つ飲料の原点であり、中でも本物の「ラムネ」は製造に結構手間がかかって、皆さんが通常「ラムネ」と思って飲んでいる商品の中には「サイダー」に分類される物も多く、本当の「ラムネ」といえるものが少ないんですね。ホンモノの「ラムネ」は、炭酸のガス圧によって、栓のビー球で圧着されている物のことを言い、ただ単にビンの形や、ビー球で栓をされているものを「ラムネ」とは言わないんです。 「ラムネ」の特徴である独特の形をしたビンとビー球で栓をする製法は、今から約150年前にイギリスで発案されたと言われています。当時はヨーロッパを中心に大いに普及したと伝えられており、今でも当時の貴族の城跡から「ラムネ」ビンが発掘されることがあるそうです。 ガラス製のビンは、ビー球をガラスビンに封入しなければならないので、ビン自体の製造コストが高く時代と共に中央のガラスビンにプラスティック製の飲み口を付けたものへとシフトしてきました。しかし、最近ではリサイクルの観点からさらに進んで、軽くて丈夫しかも分別回収して再利用できるペットボトル製のビンにまで進化しています。 日本には、幕末のころ長崎に持ち込まれ、その後神戸・横浜でも製造が始まりました。ビー球で栓をする「球ラムネ」は明治20年代から流行しだし、現在に至るまで100年の歴史を刻む飲み物として親しまれています。幕末に米国のペリー提督率いる黒船が浦賀に来航し、艦に「炭酸レモネード」を積んでいて、江戸幕府の役人に飲ませたところ、栓を開ける時に「ポンッ!」と大きな音がしたので、役人はびっくりして「新式の鉄砲か?」と思わず腰の刀に手を掛けたというエピソードも残っています。 「ラムネ」という名称は、この「レモネード」に起因しているといわれています。 |
2004年04月16日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたので、ドルフィンタウンのアイテムから「サーフボード(赤)」をご紹介します。
サーフボードのお種類は大きく分けると、ショートボード、ファンボード、ロングボードの3つです。 ショートボードの特徴は3種類ボードの中でも、長さが短く、コンパクトで軽量、パフォーマンス優れています。 アグレッシブに楽しみたい人はショートボードです。 ファンボードは、ショートとロングボードの中間に位置するボードです。ショートより多少長めで幅がありテイクオフが楽で安定感もあり、ロングより長さが短いので操作性もあるなど、そのネーミング通り 初心者、女性から上級者まで楽しくサーフィンできるようにデザインされています。ビギナーにのもお勧めのボードです。海外ではHYBRID BOARDと呼ばれています。 ロングボードは、正式には9フィート以上の長さのボードを指します。クラッシックスタイルのシングルフィンからスタビライザーを装着したタイプや トライフィンなどハイパフォーマンス、オールラウンドボードがあります。ウネリからテイクオフができる為、ショート、ファンより沖から波に乗れ、ゆったりとしたライディングが楽しめるのが特徴です。 |
2004年04月15日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたので、ピッケルタウンのアイテムから「ハートのフォトフレーム」をご紹介します。ラブラブな恋人の写真が入ったハートのフォトフレームですね。
風水的に結婚運や恋愛運をアップしたいときは、恋人とのカップル写真、あるいは片思いをしている好きな人と2人で撮った写真を寝室に飾るといいそうです。 反対に、別れてしまった恋人の写真をいつまでも持っているのはよくないらしいです。特に二人だけで撮った写真やもと彼の写真を持っていると、まだ付き合っている状態だと判断され、新しい縁が、入ってこないらしいです。一枚だけなら、二つ折りにし、複数枚なら、映った面どうしを合わせ、晴れた日の午前中、白い布か紙に包んで、捨てるのが、賢明です。楽しかった思い出は、心に残し、思い切って処分しましょう。過去を引きずっても、明るい未来は来ません。 |
2004年04月14日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたので、ピッケルタウンのアイテムから「ニワトリ」をご紹介します。 ニワトリには、卵を採ることを目的とした「卵用ニワトリ(レイヤー)」と鶏肉として利用することを目的とした「肉用ニワトリ(ブロイラー)」があります。 現在の卵用ニワトリや肉用ニワトリは、「いかに少ない飼料で、短期間に、多くの生産物を得るか」という目標の下に、ニワトリを長い年月をかけて何世代も交配させて品種改良の研究を積み重ねて作られました。従って、祖先は同じニワトリですが、何年もかけて卵をたくさん産むニワトリを選んで作られた鶏種がレイヤーといわれ、より早く大きく体重が増加するように選んで作られた鶏種がブロイラーといわれます。また、体型は、レイヤーは細身で、ブロイラーは大型という傾向があります。 ニワトリの種類については、現在、レイヤーは白色レグホン種(白玉)やロードアイランドレッド(赤玉)が、ブロイラーは、白色コーニッシュ種と白色プリマスロック種を使用した交雑種があります。 |
2004年04月13日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたので、ほのぼのタウンのアイテムから「聴診器」をご紹介します。 聴診器を発明したのは、フランスのラエネック(Laennec)という医師です。それまで医者は、患者の胸に直接耳を当てて心臓の音を聞き、患者の話す症状と合わせて病気を判断していたのですが、ラエネックの発明により、医学の現場は大きく変わることになりました。 1816年、ラエネックは心臓の悪い若い女性の診察をしていました。ところが、若い女性だったため、ラエネックは直接耳を胸に当てることが出来なかったのです。そこで苦肉の策として紙を丸めて筒状にし、片方を自分の耳にあて、もう片方を女性の胸にあてたのです。すると、直接胸に耳を当てている時よりも、心臓の音が良く聞こえました。これが聴診器のはじまりです。 では、なぜラエネックは、紙を筒状にすることを思い付いたので しょうか。伝説が伝えるところによれば、ラエネックは、子供たちが長い木の棒の端に耳を当て、仲間が反対側の木の端をピンでひっかく音を聞いて遊んでいるのを見たことがヒントになったと言われています。ラエネックは聴診器をstethoscope(stethosは胸、scoposは見鏡で、胸部を探る器具の意味)と名づけ、その後、様々な改良が加えられました。まず種々のラッパ状のものが登場し、約100年間広く使われました。今でも産科の胎児心音の聴診器として使われることがあります。 まずラッパ状の聴診器が登場し、1851年、アメリカのリアド(Leard) がラッパ型より使いやすいY型チューブを接続した両耳型聴診器(binauralstethoscope)を発明し、広く普及しました。さらに1894年、アメリカのボウルズ(Bowles)が低域をカットし、中高域の感度を上げた膜型聴診器(diaphragm stethoscope)を発明し、1926年に、やはりアメリカのスプラーグ(Sprague)が、今日の聴診器の原形となる、オープンベルとダイアフラムの両チェストピースを切り替えて使用できる聴診器の聴診器を作りました。 聴診器は、現在も改良や工夫が重ねられ、病状や部位により、様々なタイプのものが使い分けられています。聴診器は今日の医学界においても、患者の病状を的確に把握する客観的な根拠をつかむために欠かせない重要なツールです。ラエネックの発明が、現代の人々の命や健康を守っているのです。 |
2004年04月12日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたので、ピッケルタウンのアイテムから「あやつり人形」をご紹介します。 人形劇に使用される人形には様々な種類があります。手袋のように手にはめて動かす「手づかい人形(手袋人形)」、テレビ人形劇でよく見られる「棒づかい人形」などのように「動かして楽しむ」ことを目的としてつくられた人形のことを「パペット」といいます。そういった様々なパペットのスタイルのひとつとして、「糸あやつり人形」があります。 糸あやつり人形の歴史は驚くほど古く、日本でも独自のシステムがありますが、一方でヨーロッパを発祥の地とする西洋の糸あやつり人形もあります。この西洋風のシステムを持った糸あやつり人形を「マリオネット」といいます。 日本式とヨーロッパ式の大きな違いは糸を操るコントローラの形状の違いにあります。ヨーロッパ式のものはピッケルタウンのあやつり人形のように十字架の形になっています。語源が関係あるかわかりませんが、マリオネット(marionette)とは、小さな愛らしいマリアさまという意味です。 あの「ピノキオ」も、魔法によって人間のこどもになる前はマリオネットでした。彼は世界で一番有名なマリオネットかもしれませんね。 |
2004年04月11日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたので、ピッケルタウンのアイテムから「イースターエッグ」をご紹介します。今回で2回目のご紹介ですね。復活祭にかかせないイースターエッグのこのアイテムはこの時期にしか配布されていないので、一般配布アイテムの中のレアものといってもいいかもしれません。 復活祭は英語でイースターと言いますが、これは神話の中の「暁(あかつき)」または「春」の女神の名からきていると言われます。ドイツ語は「曙(あけぼの)」の女神の名に由来するそうです。「春」や「夜明け」には、復活祭と深いつながりが感じられます。ヨーロッパにはほかに、ユダヤ教の過越祭パスカに由来する言葉で復活祭を呼び表す国々もあります。 クリスマスは毎年、同じ日なのに、復活祭は毎年、違う日に祝われます。これはなぜでしょう? 復活祭は「春分の日以後、最初の満月の、次の日曜日」と決められています。決まったのは、325年のニケア公会議でのことでした。もし、キリストが復活された日付が聖書に書いてあったなら、毎年、その日に復活を記念することもできるのですが、分かるのは、ただそれがユダヤ教の過越(すぎこし)祭の時期だったということだけです。そして過越祭は「春分の日以後の満月の日」に行われていました。復活祭をその次の「日曜」と決めたのは、キリスト教徒が、主が復活された「週の初めの日」(日曜)を大切にしたためでした。複雑な日取りは、ユダヤ教との関係に配慮しながら、復活を記念する意味を最大限生かせるように決められました。 教会は伝統的に卵を使って復活祭を祝います。これは、殻を破って生まれ出るヒヨコの姿を、石の墓から復活したキリストのイメージに重ねるため、などと言われています。 欧米の国々ではしばしば蝶々も復活のシンボルとされます。サナギは墓の中の遺体を思わせ、そこから、かつてのアオムシとは全く違う姿で、生まれ変わったように出てきて天へ羽ばたく蝶々は、復活を連想するのにふさわしい象徴だと言えるかもしれません。欧米の国々では、四旬節の間、おやつをがまんした子どもたちが、復活祭の日にウサギや卵の形をしたチョコレートなど、お菓子をたくさんもらうそうです。前もって親がそれを隠しておき、復活祭の朝、一生懸命それを探し出すのも、子どもたちの楽しみの1つになっています。 |
2004年04月10日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたので、ほのぼのタウンのアイテムから「顕微鏡」をご紹介します。 世界で最初の顕微鏡は1590年にオランダのザハリヤス・ヤンセンというガラス細工師によって発明されました。大きさは長さが約50cm直径5cmという大きな物でした。その後改良が進みイギリスの科学者ロバ-ト・フックにより現在の顕微鏡の原形が形作くられました。フックは、コルクの研究をしているうちに細かな仕切りがあることを発見し、これに細胞と名付けたのは有名な話です。この顕微鏡の発明により、病原菌であるバクテリアを発見し、不治の病とされた伝染病から多くの人々を救うなど、後の医学界に多大な功績を残すことができたのです。 顕微鏡は使用目的によって、偏光顕微鏡、位相差顕微鏡、金属顕微鏡、電子顕微鏡などがありますが、一般的な顕微鏡は生物顕微鏡と双眼実体顕微鏡です。 生物顕微鏡は、理科の実験などで使われる一般的な顕微鏡ですが、使用目的により学習用、研究用などに分類されます。いずれも光が資料を通過して対物レンズに入射する必要がありますので、植物などの資料は薄くスライスして観察します。プランクトンなどの微小動物はそのままホールグラスなどで観察できます。光を通さない立体的なものの観測には向きません。倍率は組み合わせる対物レンズと接眼レンズにより変わりますが、50~1000倍ぐらいが一般的です。 一方の双眼実体顕微鏡は、双眼鏡と同じように接眼レンズと対物レンズが2個づつありますので立体的に観察できます。また資料と対物レンズの間が広くとれるよう設計されていますので電子部品の検査などにも広く利用されています。倍率は20~100倍程度が標準です。 望遠鏡の倍率は割り算(対物レンズの焦点距離÷接眼レンズの焦点距離)で求められますが、顕微鏡の倍率は掛け求めます。 |
2004年04月09日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたので、ほのぼのタウンのアイテムから「地下足袋」をご紹介します。 「地下足袋第一号」と言われているのは、室内で使うそれまでの座敷足袋にゴム底を張り付け、屋外でも履けるよう改良を加えたもので、「つちやたび」 (月星化成株式会社)で1922年(大正11年)に生まれたと言われています。月星化成は1873年(明治6年)に「つちやたび」として創業しました。月星マークは戦前からある伝統のブランドです。 現在の地下足袋のシェアトップは(株)力王の「力王たびシリーズ」です。 力王は昭和23年(1948年)、行田ゴム工業(株)として創業。昭和26年(1951)発明された軽量地下たびが人気商品となりました。「力王たびシリーズ」のラインナップはネーミングがイケてます。ちょっとご紹介すると、こんな感じです。 力王たび、地下たび、地下足袋、地下タビ、ゴム長靴、力王ファイター。力王のとびたび、力王太郎、力王安全足袋、力王セーフティー、力王現場大王、力王跣たび、力王軽快地下タビ、力王実用たび、力王特製地下たび、力王先丸地下たび、力王先丸マジック、力王タビック、力王保温たび、力王〆太しめぶと、力王スパーク、力王ホワイト、力王刺繍たび、力王カラーたび、力王祭りたび。 実は、私も地下足袋愛用者と言ってもいいかもしれません。スニーカーなどよりも、足場の悪いところで行動するのに、とても適してします。足のウラの感覚がわかるって、とても安心するし、何よりも動き易いです。お祭りの時はもちろん、屋根に登って作業するときなんかは、超便利です。(って、私はいったい何者なんでしょ・・・。) |
2004年04月08日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたので、ピッケルタウンのアイテムから「水芭蕉(ミズバショウ)」をご紹介します。唱歌「夏の思い出」(江間章子作詞/中田喜直作曲)の歌い出しで、 ♪夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬 とおい空…♪があまりにも有名なため、夏の花と誤解されがちなミズバショウですが、実際には春の花です。 一見花びらのように見える白い部分は「仏焔包(ブツエンホウ)」という葉の一種で、実は中央の黄色いとうもろこしのような部分が花です。 よく見るとこの花も一つではなく、小さな花の集合です。 |
2004年04月07日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたので、ロケットタウンのアイテムから「足跡」をご紹介します。このアイテムはもともとタウンのイベント、「お部屋自慢大会」のお題アイテムとしてロケットタウンに配られたものでしたね。今は通常アイテムになっています。 足跡(あしあと)は「そくせき」とも読みます。ウェブでは、あなたがいったページに足跡が残ります。BBSに何かを書き込みときに「足跡を残す」と言いますし、多くの場合、ウェブサイトの管理者はアクセスログというものをページに仕掛けていますので、どのページを見たか、一目でわかるようになっているのが現状です。 管理者は自分のどのページに人気あるのか、またどういう経緯で訪問者がやってきているのかを知る手がかりになります。 アクセスログでわかる項目には、アクセスされた時間や回数のほか、訪問者のIPアドレス(プロバイダ名とアクセスポイント)、使っているPCのOS種類やバージョン、使っているブラウザの種類やバージョン、自分のページに飛んでくる直前に見ていたページ、(リンクから入ってきた場合)どのページからリンクされていたのか、検索ページからきた場合のキーワードなどがわかります。 もちろん、この情報がいつも入手できるわけではなく、ある条件を来訪者が満たしているときだけですが、ページ作成の手助けになってくれます。 |
2004年04月06日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたので、ドルフィンタウンのアイテムから「サンシェード付きチェア(赤)」をご紹介します。 ビーチに行くときの必須アイテムと言えば「ビーチチェア」。ビーチチェアはビーチで自分の休憩場所を確保するのにかかせないアイテムです。 ビーチに椅子を広げて、海を見ながら飲むビールに勝るものはないですよね。 最近では、キャンプやバーベキューなどのアウトドアの際などにも使用されるアウトドアチェアもビーチで使用すればビーチチェアと表現され、その境はなくなってきています。 このドルフィンタウンのチェアは、サンシェードが付いたデザインで、直射日光が当たらず快適に過ごす事ができます。 |
2004年04月05日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたので、ほのぼのタウンのアイテムから「積んだ座布団」をご紹介します。 この積まれた状態の座布団を見ると、ついつい笑点を思い出してしまうのは私だけでしょうか? 笑点で使われる座布団は正方形ではなく長方形をしているということをご存じでしょうか? サイズは60cm × 72cm。中は木綿でカバーにはちりめんが使われているそうです。長方形なのは「積み重なって座った時に長方形の方がきれいに見える」という理由からだそうで、1枚当たりの製作費は公開していませんが「とても高価」らしいです。重さは1枚2.3キロもあります。10枚重なった時でもバランスが保てるように厚みを追求しているそうです。 放送開始時当時は座布団の色は水色で、1年ほどでピンク色に変わり、三波伸介氏の司会就任後の1973年頃に現在の紫色に変わっています。この他、司会者用に紺色の無地の座布団、座布団運び専用の赤い座布団(メンバー用の色違いで、最初の挨拶の時のみ使用するやつです)が使われています。 |
2004年04月04日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたので、ピッケルタウンのアイテムから「斧」をご紹介します。 斧は、ナイフと並んで人類にとって最も古い工具であり、武具であり、また祭具でした。ヨーロッパの森の民の間では少なくとも1万年前には打製の石斧が使われていたそうで、、日本でも旧石器時代から縄文時代初めには打製や磨製の石斧が盛んに使われていました。 バトルアックスと呼ばれる戦斧については、今回外して、生活の道具としての斧のお話をしてします。 生活の道具としての斧の種類を大きく分けると4つに分類されます。 スプリッティング・アックス・・・・・薪割り斧 キンドリング・アックス・・・・・・・焚き付け用斧 フェリング・アックス・・・・・・・・伐採斧 ブロード・アックス・・・・・・・・・斫り斧 スプリッティングアックス(薪割り斧) 薪割りなど。木材を木目の方向に分割するために使用される。刃は分厚くて重く、くさびに近い形状。西洋式の斧でも、柄は直線の場合が多いです。 キンドリングアックス(焚き付け用斧) 焚き付け作りをするための斧。キンドリングの意味には「点火」「焚き付け」という意味があります。 フェリングアックス(伐採斧) 木を伐るなど、木材を木目と垂直に切るためのものです。木の繊維を軽快に切断できるよう、刃は薄く、鋭くなっています。片刃または両刃があり、また重量、形、柄の形状、切断する素材の特性に合わせた切断形状には様々なものがあります。フォレストアックスとも呼ばれています。 ブロードアックス(はつり斧) 丸太の側面を削ぎ、角材を作り上げるために使われます。刃の形状はノミ状(片面は平らで、もう片面は斜角がつけられた刃)で、より精密な作業が可能なように作られています。 |
2004年04月03日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたので、ほのぼのタウンのアイテムから「まな板」をご紹介します。
まな板の歴史はとても古く、中国から伝わってきたとされています。弥生時代には既に木製のまな板を使っていたとされ、弥生時代の遺跡からまな板も発掘されています。まな板は「俎」または「俎板」と書くことができ、これはもともと食物分配という神聖な儀式に用いられていたもので、「俎」自体は「肉を置く台」という意味になり、生け贄を捧げるための供物台としての意味も持っています。このため当時の「まな板」は下駄のように足が付き、板自体も非常に厚いものが用いられていました。また、当時は座った状態で調理を行うことが一般的だったこともその特徴的な形になった要因だとも言えます。この足の付いた「まな板」や特徴的な切り分けの作業は日本古来の伝統儀式でもある「包丁式」などでも見ることができます。 |
2004年04月02日
◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたので、既存のほのぼのタウンのアイテムから「ソースせんべい(梅ジャムつき)」をご紹介します。 駄菓子のせんべいに梅ジャムのパックがセットになっています。せんべいにジャムを塗って食べるんですね。昭和40年代下町を中心に,紙芝居用のソースせんべいが盛んに作られていました。現在と違って子どもも多く、公園、広場等ではソースせんべいや、他のお菓子を手に、紙芝居を見るというのが下町ではよく見る光景でした。このせんべいは紙芝居屋さんの定番アイテムでした。「せんべい」と名前にはついていますが、とってももろいので、うっかりポケットにでもそのまま入れようものなら、ポケットの中で粉々になっちゃうので注意が必要です。 また、このせんべいはジャムやソースを接着剤がわりにして、いろんな形が作れます。紙芝居のおじさんが子どものリクエストで、作ってくれました。 そんな形のバリエーションが五十鈴製菓のページで紹介されています。 |