2004年05月23日

◆今日の一品◆
H製 デストロイヤーマスク
今日も全タウン再配布のアイテムだけでしたので、ほのぼのタウンの「デストロイヤーマスク」をご紹介します。このアイテムは2回目のご紹介です。
デストロイヤーことディック・ベイヤーは、ニューヨーク郊外のバッファローに生まれです。デビュー当初は「誰よりも高く飛ぶ男」としてドロップキックを得意技にしたこともありましたが、その後レスラーとしての実績は必ずしもよくありませんでした。テネシー、ハワイなどを転戦、紆余曲折を経たディックは1962年、カリフォルニア州ロサンゼルスでマスクを被ることになります。ジ・インテリジェント・センセーショナル・ザ・デストロイヤーの誕生です。彼をLAに呼んだプロモーター、ジュールス「ミスター・レスリング」ストロンボーとの約束で、4週間だけマスクマンを演じることになっていましたが、思わぬブレイクで、ディックはデストロイヤーのままレスラー生活をつづけることになります。マスクを被せることを最初に発案したのは、やはりプロモートをしていたハーディ・クルスカンプだったそうです。
最初のマスクは鼻も口もない、目の穴だけが開いたウール地のひどい出来で、失笑を買うようなマスクでした。ストロンボー、ゴージャス・ジョージらとともにオリンピック・オーディトリアムの伝統を築いたクリスティー・ブラザースの片割れ、ヴィック・クリスティーから渡されました。試合を終えた後、ディックは控室でマスクを脱ぎ捨てると、プロモーターにマスクはこれきりで終わりだと直訴。そのとき居合わせたオックス・アンダーソンという友人のレスラーが、「最近使っていないから、これをやるよ」と1枚のマスクをディックに放り投げました。被ってみると、実に被り心地がよっく、それは婦人用のガードルで作られていました。マスクマン生活の続行が決ました。
ディックは日曜日になるとウィルマ夫人を連れてLAの有名デパート「ウールワース」へ行きまた。「婦人用下着売り場でサイズの合うガードルを探すために、10種類以上、片っ端から被ってみたんだ。人だかりができて、オカマか変態と勘違いされたよ」 しかし、その結果、スモール・トール・サイズのガードルを2ダース分注文し、ウィルマ夫人がマスクを縫うことになりました。愛妻の作ったマスクが、デストロイヤーの顔となったわけです。
1962年7月27日、デストロイヤーはこの地LAでフレッド・ブラッシーを破り、覆面レスラーとして初の世界チャンピオン(WWA)に輝きました。それは、プロレスの歴史を変えたデストロイヤーが、生ける伝説になった瞬間でした。