◆今日の一品◆ |
今日はほのぼのタウンから「プリン」が新配布になりました。 ショートケーキ、シュークリームとともに日本洋菓子の御三家といわれるプリン。多くのお菓子がフランスに起源をもつなか、プリンはイギリスが発祥のお菓子です。名前は英語のプディング(Pudding)から来た和製英語で Puddingの英語の意味は「ぬれて柔らかいもの」ということです。プリンというとお皿の上でプルルンとふるえる姿にぴったりの名前ですが、英語の発音が日本人の耳にはプリンやプディングと聞こえ、「プリン」がだんだん一般的な言葉になったのです。 日本ではプリンといえばカスタードプリンをさしますが、イギリスのプディングは保存食でした。イギリスでかなり多岐にわたる料理の名称なんだそうです。プディングとはイギリスの伝統的な味・調理法。蒸して作るのが基本ですが、ゆでたり焼いたりして作るものもあるようです。最初のプディングは、「豚の血」などを腸に詰めて茹でたブラックプディングというもの。これからプリンを食べるとき、常に思い出して、一瞬「うっ!」となっちゃいそうです。プディングは現代の料理の中にもプディングの仲間に入るものがたくさんあります。 日本でも、昭和初期、ハイカラな家庭では、牛乳をコーンスターチで固めたもの(今でいうブラマンジェ)をプリンと呼んでおやつにしていたと言われています。これも広い意味ではプディングの一種です。 プリンの作り方としては、卵1に牛乳2くらいの割合に、砂糖やエッセンスを加え、カラメルを入れたプディング型に流し入れて湯を張った天板に並べ、オーブンで蒸し焼きにします。 |
「今日の一品」カテゴリーアーカイブ
2003年08月04日
◆今日の一品◆ |
今日はほのぼのタウンから「ひょっとこのお面」が新配布になりました。 過去にお正月アイテムとして「おかめのお面」が出ていますが、ひょっとこは初登場です。おまつりシリーズなんでしょうかね? 江刺の古い民話にこんなお話があります。 あるところに爺と婆があった。爺は山に柴刈りに行って、大きな穴を一つ見つけた。こんな穴には悪い物が住むものだ、塞いでしまった方がよいと思って、一束の柴をその穴の口に押し込んだ。 このように「ひょっとこ」は「火男」(ひおとこ)が転訛した言葉で、東北地方で多く見られる〈醜い火男・竃仏の面を竃の上に飾る〉「かまど神」です。 |
2003年08月03日
◆今日の一品◆ |
今日はほのぼのタウンから「箱入りのモモ」が新配布になりました。 千疋屋総本店でこのくらいのものを買うと8000円以上しますね。 桃というと桃源郷が頭に浮かびます。 俗世間を離れた理想郷を指す言葉として知られる桃源郷の由来は六朝時代の東晋の有名な詩人、陶淵明(365~427年)が歌った「桃花源記」に端を発しています。中国にはこの理想郷のモデルとして江西省や安徽(き)省などに「桃花源」と名のつく地が四ヶ所もありますが、湖南省の省都・長沙市の北西にある桃源県だけが、政府に公認されています。 約1600年も前に生まれた桃源郷が、今も私たちの心をとらえて語り継がれているのは、いつの時代にも理想の楽園を求めざるを得ない、人の世のはかなさからきているのかもしれませんね。 |
2003年08月02日
◆今日の一品◆ |
今日はほのぼのタウンから「糸付き回転花火」が新配布になりました。 玩具花火と呼ばれるおもちゃ花火の1種ですね。このタイプのものは中国製が多いようです。 玩具花火とは、おもちゃ花火といわれることからもわかるように、どなたでも使用できる花火です。そして、社団法人日本煙火協会検査所において合格したものに限られますので、とても安全な花火であるといえます。もちろん、使用上の注意を守っていただいた場合ですが。 火薬の量も15g以下と決まっています。 |
2003年08月01日
◆今日の一品◆ |
今日はほのぼのタウンから「お祭りのやぐら」が新配布になりました。 「やぐら」と言えば、盆踊りですね。盆踊りは700年くらい前から行われているらしいです。盆踊りは旧暦の7/13~16(現在の8/13~16)に行うところが多いようですね。日本人にとって、お正月とお盆は数ある行事の中でも特別な行事でした。北海道から沖縄まで、全国3250市区町村で開催のない所は少ないでしょう。最大は阿波踊りで140万人が繰り出します。全て合計すれば1夏で延べ1000万人位が参加していると考えられます。 ちなみに私のやぐらデビューは3歳の頃。それ以降お立ち台人生がはじまったのです。 |
2003年07月31日
◆今日の一品◆ |
今日はほのぼのタウンから「ペンペン草」が新配布になりました。「ペンペン草」をご紹介します。 「ペンペン草」は春の七草の1つ「なずな」の別名です。長い茎の先に三角の小さな実が付いていて、この茎の部分を少しひっぱった状態のものをいくつか作り、耳元で振ると「シャンシャン」という音が出ます。こどもの頃、そうやって遊んだことはありませんか? 映画やドラマなどのせりふで「ペンペン草も生えねぇ~」なんて、あんまりいい意味で使われることのない名前です。 ちなみに春の七草はセリ、ナズナ、ゴキョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロです。 |
2003年07月30日
◆今日の一品◆ |
今日はドルフィンタウンから「木製ベンチ」を紹介します。 日本には、昔から縁台(えんだい)というものがあります。いわゆる木製のベンチです。 縁台(えんだい)は、個人の家の庭や近所の露地において、休息や夏場の夕涼みなどに用いられる主に木製の腰掛。大人が1人か2人くらいが腰かけてちょうどよいくらいのサイズが一般的で家に縁側のない家では、これが縁側代わりになることもありました。 縁台に用途が似ているものとして、縁側、濡れ縁、ウッドデッキがあります。 縁台 縁側 濡れ縁 ウッドデッキ |
2003年07月29日
◆今日の一品◆ |
今日はほのぼのタウンから「ハエとり紙」が新アイテムとして配布されました。 両面接着テープを天井から吊るして、飛んでいるハエを捕まえるものです。ハエとり紙は、「飛んでいる虫が偶然くっついてくれるのを待つタイプ」のものですが、最近では「虫をおびき寄せて捕まえるタイプ」のものが、いくつか開発されています。 フェロモンテープと呼ばれているものです。この他にも、色でおびき寄せるものがあります。日東電工の「ITシート」と「虫とり君」がそうです。細長いフィルムの表面に柔らかい粘着剤が厚めに塗られており、主に畑や温室に吊るします。これには黄色と青色との2種類があります。トマトやキュウリ、ナスなどの害虫であるネギアザミウマなど特定の昆虫は、黄色を好む性質があり、この粘着テープをめがけて飛んでくるというわけです。青色はミナミキイロアザミウマが大好きです。また、照明器具に透明の粘着シートを貼り、光でおびきよせて捕獲する方法もあります。こちらも、主に農作物対象に行われています。「飛んで火に入る夏の虫」の、粘着テープバージョンといったところでしょうか。 この元祖ハエとり紙を改良・開発して作られたのが「ゴキブリほいほい」です。 |
2003年07月28日
◆今日の一品◆ |
今日は全タウン再配布のアイテムでしたので、ドルフィンタウンのラジオをご紹介します。 ラジオのアイテムはピッケルタウンを除いて、他の3つのタウンから出ていますね。ドルフィンタウンのこのラジオはFM局が流れていそうな感じのラジオです。 「波の数だけ抱きしめて」という題名の映画はご存知ですか? このラジオを見ると思い出す映画です。 1982年、西海岸文化全盛の頃、学生時代最後の夏の思い出に、湘南中に電波を飛ばせる本格的なFM局の設立をめざす4人の若者たち。そんな彼らの明るくてほろ苦いひと夏の夢と恋を、湘南の潮風と波にのせてオシャレに描いた青春映画です。ユーミン・サウンドやAORなどの音楽からファッションに至るまで、全編1982年一色で郷愁たっぷり。ちょっぴり懐かしくも新しい、究極のレトロ・トレンディ・ムービーでした。1991年に劇場公開された作品で、中山美穂 織田裕二 別所哲也 松下由樹らが出演しました。 原作を手がけた「ホイチョイ・プロダクション」は大手広告代理店の社員が集まってできた集団で、映画作品は「私をスキーに連れてって」「彼女が水着にきがえたら」「メッセンジャー」などがあります。 |
2003年07月27日
◆今日の一品◆ |
今日はロケットタウンから「爪付きの黒いイス」が配布になりました。動物の足っぽいデザインです。 このイスを見て、思い出したのが、イクスピアリにあるレストラン「レインフォレスト・カフェ」。熱帯雨林と自然保護をテーマにした店内には、天井まで届く水槽があるほか、ジャングルクルーズなどでおなじみのオーディオ・アニマトロニクス(機械仕掛け)のゾウやゴリラなどがいて、とってもユニークです。各セクションでそれぞれの動物のテーマが決まっています。(ゾウ、ゴリラ、魚、キリン等) どこに当たるかはお楽しみ。レストラン内のバーのイスをよく見ると、イスの足が動物の足になってます。サンドイッチやパスタを楽しめるレストランです。 |
2003年07月26日
◆今日の一品◆ |
今日は全タウン再配布のアイテムでしたので、ピッケルタウンの木馬をご紹介します。この木馬はピッケルタウンがオープンする前の予告用のイベントアイテムだったのですが、現在は通常アイテムとして配布されています。 ブランコや木馬など、ゆらゆら揺れるスイング遊びは、子どもにとってワクワクする快感です。1才半くらいから運動能力が高まるので、挑戦させたいものの1つです。小学生になっても遊べます。 馬は昔から神の使いとされてきました。それは静養でも日本でも一緒です。西洋では木馬に、日本では絵馬がシンボルになりました。 馬は神話の中で太陽神ヘーリオスの戦車を引いて天をかけ巡ったり、大天使ガブリエルを乗せサタンと戦ったり、ポセイドンが海から馬を生じさせたりした。このようなことから馬は宇宙的なエネルギーを持つ存在とされてきました。民間伝承で馬は幸運のしるしであり、人々はこぞって、木馬をこしらえ、子供たちをそれに乗せることで将来への幸運を祈った歴史があります。 また、日本で白馬は神聖なものとされ、生きている馬の代わりに木馬があてられた。馬の絵を板に描いて奉納したのが絵馬の起源とされています。 |
2003年07月25日
◆今日の一品◆ |
今日はロケットタウンから「サイケなイス」の後ろ向きバージョンが配布になりました。これでテーブルとイスの正面・後ろ向きバージョンがセットになりましたね。 サイケとは、サイケデリック(Psychedelic)の略で、広辞苑第四版によると「幻覚的。幻覚剤によって生ずる幻覚状態に似たさま。」となっています。簡単に言えば、「ラリッた状態」のこと。1968年後半から一大ムーブメントを起こしたカルチャーであります。なぜその時代の若者は、ドラッグに走ったのでしょう? ベトナム戦争がその大きな要因となっています。価値観の揺らぎ、自分の方向性の喪失に苛まれた彼らは、ドラッグによって真実や平和な世界を模索しようとしたのでしょう。 サイケを知るための参考書としては、小説 「限りなく透明に近いブルー」(村上 龍)や映画「ドアーズ」(オリバーストーン監督)、映画 「ウッドストック」(マイケル・ウォドリー監督)がおすすめです。 |
2003年07月24日
◆今日の一品◆ |
今日は全タウン再配布のアイテムでした。今日ほど何を紹介しようか悩んだ日はありませんでした。(笑) ドルフィンタウンからティーセットをご紹介しますね。ドルフィンタウンのティーセットは今日配布になったものの他にもあと2種類あります。今日のティーセットはコーヒーにも紅茶にも使えそうなわりとモダンなデザインのものです。 ティーセットというと、やっぱりアフタヌーンティーの習慣を思い出しますよね。紅茶を飲むのがまだ貴族のものだった頃は、銀製のティーセットや高価で手に入れにくい中国製の茶わんなどが中心でしたが、大量生産が可能になったことでイギリス製の陶磁器などが登場し始めました。1740年後半になってチェルシーに窯業が起こり、やがてその他の地域でも作られるようになったのです。安くティーセットが手に入るようになって一般市民の間でもお茶に対する興味が高まっていきました。1850年代のイギリスの生活を描いた文章に、「時計が午後4時を打つと6時までの間英国中の家庭のやかんが一斉にヒョーヒョーと楽しげに音を立て、陶磁器の茶わんをテーブルに並べて砂糖を入れるときのカチンカチンというふれあいの音が聞こえるのだった」というものがあります。これはこの時代すでに、庶民の間でもアフタヌーンティーの習慣が定着していたということを示しています。 この時代の上流・有産階級のアフタヌーンティーは優雅で洗練された公式のお茶会という社会的な意味を持ったものに発展していました。そして、お茶会に必要なマナーやエチケットも確立し、お茶を楽しむ様々なマナーもできあがっていたのです。 |
2003年07月23日
◆今日の一品◆ |
今日はロケットタウンから「サイケなイス」が配布になりました。先日、このイスと同じデザインのテーブル天板と、テーブルの脚が別々に配布になりましたね。 前回の大きいテーブル天板が配布されたときに、ファッションについてのサイケはお話しましたが、音楽の世界にもサイケはあります。サンフランシスコを中心とするウエスト・コーストに生まれたフラワー・ミュージック、サイケデリック・ミュージックなどと呼ばれるもので、当時の若者が求める自由・平和の思想が音楽と直接結びついたものだったでした。 そのサイケデリック・ミュージックというのは、LSDという幻覚剤と関係があり、その流行から生まれたちょっとヤバイ音楽活動です。1943年に精神医学の分野で合成されたLSDが、’60年代中期マスコミによって取り上げられ、俄然注目をあびるようになりました。つまりLSDを服用することによっておこる幻想・幻覚の中から、当時の若者達は、自分たちの新しい世界、芸術、価値観を見い出そうとしたのです。 当然ながらこの波は音楽にも影響を与え、とくに常用者の多かったシスコを中心に個性的なサウンドを生み出しました。これがサイケデリック・サウンドです。 66年3月21日付ビルボード誌第2位にランクされたボブ・ディランの「雨の日の女」、そして同日14位のバーズの「霧の8マイル」が、最初のサイケデリック・サウンドとされています。この2曲、内容的には明らかにLSDを飲んだときの状態を歌ったもので、州によって放送禁止、発売禁止となりました。 直接LSDを飲んで演奏するということそのものはなかったとしても、LSDによってもたらされる幻覚の世界を表したものから、幻想的な光や音を利用した演奏スタイルのものまで、次々と生まれました。 |
2003年07月22日
◆今日の一品◆ |
今日はドルフィンタウンから「こどもの絵」が配布になりました。「父の日」に配布する予定のアイテムだったんでしょうかね。そう言えば、タウンには「母の日」「父の日」という特別なアイテムはありませんね。 絵を描いて、心理テストをするということがありますよね。特に上手に話せないこどもの心の中を見るのに、絵を描いてもらって、判断するという方法があります。心理学的には構図や何を中心に描かれているかとか、描いたものの大きさや色彩で判断します。 こどもの絵の中に黄色が強いストロークで描かれた絵は、心が開いていると言えるそうです。また、黄色は一般的に幼児が好む色でもあり、好奇心が外へ外へと広がっていく時期でもありますが、両親に愛情の欲求があるときの色とも言えるそうです。 黄色をよく使う画家にゴッホがいますが、黄色を闇からはい上がるための光として求め続けた画家。短い生涯は愛に破れ、友情に破れ、画家として成功をみることのなかったゴッホにとって「黄色い部屋」の絵はついに得ることのなかった人との幸せをイメージしているのかもしれませんね。 このように色は、寂しさや喜び、幸福感と不安、というように人間感情の両面を表す色ことがあります。 |
2003年07月21日
◆今日の一品◆ |
今日はドルフィンタウンから「ブイ」が配布になりました。「海の日」にちなんだ海アイテムが続きますね。 「ブイ」の正式名称は「浮標(ふひょう)」と言います。そう、言ってみれば海の道路標識の役目をしています。今回のアイテムのように灯りがつかない物と、灯りがつくタイプの大きく分けて2種類があります。灯りがつくタイプのものは灯台の役目をするものもあります。 船に乗っている人には海図があって、そこにはすべての標識がちゃんとのっていて、夜でも迷わずに航行できるようになっています。 |
2003年07月20日
◆今日の一品◆ |
今日はドルフィンタウンからドルフィンタウンらしい「ボディボード」と「新アイテムショップ」にあった「ピンクのサンゴ」が配布になりました。 「ボディボード」はサーフィンと同様に波に乗って楽しむマリンスポーツの一つです。サーフボードと違うのは、板の材質が主にポリエチレンで出来ているものが多く柔らかいことや、板の長さが1m前後とサーフィンの板に比べて短いこと、スケッグがないこと。そして基本的に足ヒレをつけてやること。立って乗ったり、片膝立ちで乗るスタイルもありますが、基本的に寝そべったまま乗ります。 1971年にハワイ島コナでサーファーのトム・モーリーによって「ショアブレイクで安全に波乗り出来るものができないか」というコンセプトのもとに今のボディボードの原形となるものが発明されました。日本には1979年頃に入ってきたと言われています。 日本に入ってきた当初は「ブギ・ボード」とか「ブギボー」と呼ばれていましたが、1990年頃から「ボディーボード」と呼ばれるようになりました。うっかり「ブギボー」などと呼んでしまうと、年がバレてしまいますので、ご注意ください。(笑) |
2003年07月19日
◆今日の一品◆ |
今日はピッケルタウンからかわいい「金のベル(呼び鈴)」が配布になりました。玄関などにつけるタイプですね。 ほとんどの家庭で、インターフォンが使われている現在では、とっても魅力的に見えますよね。 さて、インターフォンを含め、呼び鈴には押し方のマナーというものがありますが、ご存知ですか? 玄関前の呼び鈴(ブザー、インターフォン)を続けざまに何度も押す人がいますがこれは大変失礼です。3回までにしましょう。また相手は何か手を放せない用事があってすぐには玄関までこれないのかもしれません。返事がないからといって10秒もたたないうちに2度3度と呼び鈴を鳴らすのもやめましょう。もういちど押す場合は30秒はまってからにしましょう。2回3回と押しても返事のないときは不在と考えるべきです。何回も繰り返し押していると今度はご近所の迷惑となってしまいます。 |
2003年07月18日
◆今日の一品◆ |
今日は全タウン、再配布のアイテムだけでしたので、ピッケルタウンから「ブーメラン」をご紹介します。
「ブーメランと言えばオーストラリア」、「オーストラリアと言えばブーメラン」という感じがしますが、実はブーメランはオーストラリア以外にも存在しました。 エジプト、ヨーロッパ、インド、アメリカ、コロンビアなど、ブーメランの原型と思われる物が、世界各地で発見されています。中でも有名なのは、イギリスの考古学者のハワードカーターが発見したブーメランです。紀元前1370年頃の古代エジプトのツタンカーメン王の出土品の中から、象牙細工を施した立派なものが発見されています。世界最古のブーメランと言われているのは南オーストラリアで見つかった物で、1万1千年から1万5千年前の物と言われています。1万年以上ということは、日本で言えば「縄文時代」より前になります。 |
2003年07月17日
◆今日の一品◆ |
今日は全タウン再配布のアイテムだけでしたので、既存のアイテムから「コーラ」をご紹介します。 「コカ・コーラ」は、大正時代にはすでに日本でも販売されていました。1914年(大正3年)に詩人の高村光太郎が発表した詩集『道程』に収められている「狂者の詩」や1919年(大正8年)に明治屋が発行したPR誌『嗜好』に掲載されている宣伝文、1925年(大正14年)に作家の芥川龍之介がしたためた手紙の一節から一部の都会人の間で「コカ・コーラ」が飲まれていたことがうかがい知れます。とは言っても、庶民にとって「コカ・コーラ」はまだまだ贅沢品でした。 その後、一旦姿を消し、再び日本に登場するのは戦後に入ってからのこと。終戦からひと月が経ったころ、世界各地で「コカ・コーラ」ビジネスを展開していた、ザ コカ・コーラ エクスポート コーポレーションの代表者が来日します。驚くべきスピードで開業準備を進め、1945年(昭和20年)10月には、横浜に日本支社が発足しました。そして1946年(昭和21年)から52年(昭和27年)にかけてのわずか7年のうちに、国内6ヵ所にボトリング工場が次々と設置され、「コカ・コーラ」が日本国内で生産できるようになります。国内生産された「コカ・コーラ」は、進駐軍(第二次世界大戦後、日本に進駐した連合国軍)関係者に提供されていました。 |
2003年07月16日
◆今日の一品◆ |
今日は全タウン再配布のアイテムだけでしたので、既存のアイテムから「食パン」をご紹介します。 食パンの原型は、上部がふっくらした山型のイギリスパン。コロンブスがアメリカ大陸を発見した頃、開拓者のために作られたといわれています。配送手段や分配がまだまだ面倒な時代に、みんなが一度に食べられるようにと、効率性を考えて生まれた形だったのだとか。 日本にイギリスパンが伝来したのは、文明開化の頃。文久2年、イギリス人のロバート・クラーク氏が、海軍の衛兵や居留外国人向けにパンを作り出したのが始まりです。当時の店名は「ヨコハマベーカリー」。現在も横浜・元町で営業を続ける、「ウチキパン」の前身です。しかし当時、日本人にはパンが売れず、お客さんは海軍の駐屯兵がほとんど。まったく商売にならなかったそうです。 |
2003年07月15日
◆今日の一品◆ |
今日はロケットタウンから先日のスイッチやレバー類にぴったり合うコントロールパネルが配布されました。 東京ディズニーランドのアトラクションでは、コントロールパネルのことを「コンソールパネル」と呼びます。スペースマウンテンやスターツアーズあたりだと、このような未来っぽいコンソールパネルなのかと期待しちゃいますが、工場や発電所などで見かけるようなけっこうアナログなものです。ゲストに見えないところは経費削減というところでしょうか?(笑) |
2003年07月14日
◆今日の一品◆ |
今日はロケットタウンから先日のテーブルの脚にぴったり合うテーブル天板が配布されました。カラフルなマットとしても使えそうです。よく見ると丸い部分が凹んでいるんですね。このカラフルな模様はまさにサイケです。 60年代の大流行スタイルであるサイケデリックは、もとは幻覚剤を飲んだときに起る幻覚作用によって、サイキな妄想世界を広げていくという意味合いなんですね。サイキとは心のことで、実はとっても奥深いのです。薬ではなく、音楽、映画などのカルチャーやダンスなどで感覚がサイケデリックになることも。1968年頃からポスターやファッションの世界で流行しサイケ調と呼ばれる原色使いや蛍光塗料を使った刺激的なカラーリングがブレイクしました。アーティストでは大胆な色使いが印象的なアンディ・ウォホールが人気を集めた時代です。 |
2003年07月13日
◆今日の一品◆ |
今日は全タウン再配布のアイテムでしたので、既存のアイテムの中からロケットタウンの音符マークをご紹介します。 漫画やイラストのエレメントと呼ばれる「コマ」「フキダシ」「効果線」「擬音」などに含まれそうな♪マーク。音が出ている表現をするときに使われますよね。ロケットタウンのこの♪はブルー1色で多少地味なのですが、かわいいです。 |
2003年07月12日
◆今日の一品◆ |
今日はロケットタウンから「テーブルの脚」が配布になりました。 テーブルの脚にはどのような種類があるのかということを紹介していきます。普段の生活では気づかないかもしれませんが、テーブルにはいろいろな種類の脚があります。 4本脚 X型 また、脚を相欠きせずに交差させただけで、貫を貫通させて外側で固定させるような方法もあります。この方法だと、分解することも可能です。 I型 H型 ロ型 1本型 |
2003年07月11日
◆今日の一品◆ |
今日はほのぼのタウンから「スタンド式灰皿」が配布になりましたので、ご紹介します。 公園や駅などで見かけた灰皿ですが、健康増進法の施行で、撤去されまくり、最近ではあまり見かけなくなりました。そのうち、「ああ、こんなものもあったよね!」という懐かしいものになっていくのでしょうか? 禁煙先進国のアメリカでは、映画のワンシーンで見るくらいしか、メディアを通じてタバコを吸うシーンは見られない感じです。アメリカでは、日本のように自動販売機でタバコが買えることはありませんし、タバコを売っているコンビニでも、若そうに見える場合は必ずIDを見せなくてはいけません。アメリカでは「デブと喫煙者は出世できない」と言われています。両者とも自己管理ができないことの表れということらしいですがこの両方は遺伝子の問題という説も出ています。 学生のうちはまだ吸っている人を見る気がしますが、たいていの人は卒業前にタバコをやめたり、せめて人前で吸うことをやめるようです。基本的に初めて会った人などは「喫煙しないもの」と思っている場合が多いので、喫煙をする時はかならず「Do you mind if I smoke?」などと言って、相手の確認を取るといいです。私はタバコを吸う・吸わないは個人の嗜好なのでかまわないと思いますが、周りの人への気遣いが日本でももう少しあるといいですよね。 |
2003年07月10日
◆今日の一品◆ |
今日はほのぼのタウンから「物干し台」が配布になりましたので、ご紹介します。 都会ではお庭のある家が少ないので、なかなかこういう物干し台を目にすることがなくなりましたが、洗剤のコマーシャルのようにお庭に洗濯物を干したら、気持ちいいでしょうね。物干し竿で風にゆれるTシャツって、素敵です。(笑) さて、物干し台ですが、選ぶ時に注意しなくてはいけないのは、素材がチェックポイントになります。ステンレス製やアルミニウム製なら、さびに強い物干しが見つかるでしょう。場所をとらずにたくさんの洗濯物を干せるような、伸縮のできる物干しや、折りたたみ式のスタンドなどさまざまな工夫がされた商品もあります。 今日のほのぼのタウンの物干し竿は、昔、普及したタイプで樹脂製。軽くさびにも強いのですが、屋外で長く使うと劣化します。 |
2003年07月09日
◆今日の一品◆ |
今日はほのぼのタウンから昨日の「茶色の箪笥」の仲間が配布になりましたので、ご紹介します。 小さい箪笥ですね。箪笥の上に乗せて使ってもいいし、畳の上に置いて手元で使ってもいいようになっています。 箪笥といえば素材は様々なんですが大阪・京都や江戸の周辺各地に 箪笥の産地が生まれ全国各地にさまざまなデザインと趣向を凝らした箪笥が作られるようになったのは、明治に入ってから、そして明治から大正期に優れた箪笥が 作られたそうです。主な産地には「仙台箪笥」 「庄内箪笥」 「松本箪笥」「関東箪笥」「大阪箪笥」「佐渡箪笥」「大川箪笥」 などが有名ですが、その他の産地では岩谷堂箪笥、秋田箪笥、米沢箪笥、賀茂箪笥、新潟箪笥、長岡箪笥、二本松箪笥 会津箪笥、三国箪笥、 名古屋箪笥、京箪笥、高山箪笥、富山箪笥、金沢箪笥、能登箪笥、近江箪笥、出雲箪笥 島根・倉吉箪笥、府中箪笥等があります。 |
2003年07月08日
◆今日の一品◆ |
今日はほのぼのタウンから「茶色の箪笥」が配布になりましたので、ご紹介します。 箪笥の名前の由来については前にも書いたのですが、箪は食、笥は衣の意味でしたね。江戸時代は主に水に強いケヤキが使われていました。でも板にする技術がまだ高くなかったので、収納といえば、もっぱら行李などが重宝されていました。それが、明治になってから西洋の洋服箪笥が入ってきて、箪笥が大型化し、和箪笥の形になってきました。関西では、着色仕上げで金具に懲り、手の込んだものが好まれ、関東では総桐(右の図)の生地仕上げが好まれました。桐は火に強く、湿気に強いそうです。摩擦に強いため、あまりすり減らない。木製ですから傷がはいっても削れば戻る。でも全面 を修復するのには結構かかるそうです。衣装の収納に箪笥が使われるようになったのは江戸時代中期(やっぱり現代生活の根元は江戸時代だね)。それ以前は葛籠(つづら)や行李(こうり)、長持ちなどを使っていました。 数え方が、一棹、二棹なのは、火事や運び出すのに便利なように、棹を通 す金具がつけられたことからだそうです。ちょうどお殿様ののるカゴを想像して下さい。 |
2003年07月07日
◆今日の一品◆ |
今日は全タウン再配布のアイテムのみでしたので、既存のアイテムからピッケルタウンの「白い像(瀕死の奴隷)」をご紹介します。 「瀕死の奴隷」はルネッサンスの巨匠ミケランジェロが1512年頃に作ったと言われる彫刻です。ユリウス2世の墓碑案「囚われの人々」の1つとも言われている作品ですね。本物ルーブル美術館に貯蔵されていて、実際の大きさは229cmとかなり大きい作品です。 ミケランジェロはダヴィンチとともにルネッサンスを代表する天才で、互いライバルと言われました。ミケランジェロはダヴィンチよりも25歳年下。冷静な知性を持った「画聖ダヴィンチ」と、男性的な激情を持つ「神ミケランジェロ」は1501~1505年にフィレンツェにいた以外は、同じ街に住むことはありませんでしたが、2つの才能は常に激しくぶつかったのです。 |