2003年12月03日

◆今日の一品◆
P製 木彫りの熊の置物
今日はピッケルタウンからの「木彫りの熊の置物」が新アイテムとして登場しました。
木彫りの熊の置物はほのぼのタウンからも出ているのですが、ピッケルタウンから出た今回のものの方がわかりやすいですね。ほのぼのタウンのものは「黒い塊」状態で、初めて見た人は「?」と思ったんじゃないでしょうか?
木彫りの熊は北海道を代表する郷土玩具で、札幌をはじめ函館・小樽・旭川・網走など、道内のどこの都市や観光地でもお土産品として並んでいるのを見かけます。し全部同じデザインなのかなと思うと、そうではなくてそれぞれの土地により、デザインと彫り方が少しずつ違っています。そのポーズや表情にもほほえましい姿や荒々しいものなどといろいろの形があります。
木彫りの熊の始まりは、大正時代からだそうです。東京で生物学研究所を開いていた、徳川義親(よしちか)が、北海道の(現山越郡の)八雲町で徳川農場を経営していましたが、熊の生態研究のためアイヌの酋長の案内で、よく熊狩りに出かけていました。
大正10年~11年に徳川義親はヨーロッパの農民生活を視察、スイスから木彫りの熊を買って帰りました。そして、彼は八雲の農民達を集めて熊の木彫りをすすめました。
大正13年、徳川農場主催で「第1回農村美術工芸品評会」が八雲小学校で開かれ、このとき酪農家の伊藤政雄が出品した熊彫りが、北海道の熊彫りの第1号といわれています。
毎年、講習会や研究会が開かれ、昭和2年に「北海道奥羽六県連合副業共進会」(秋田県主催)で、この伊藤さんの熊彫りが1位となり、この頃から「北海道の熊彫り」が全国に知られるようになりました。一般に売られるようになったのはそれから2、3年後でした。
昭和の初めには旭川市の近文でも、アイヌの熊狩りの名手と言われた松井梅太郎が熊の彫刻を始め、アイヌ彫りの伝統を生かして次々と新しい熊彫りを創作しました。