◆今日の一品◆ |
今日はほのぼのタウンからの「クリスマス柄のコタツ」が新アイテムとして登場しました。 テレビにミカンに炬燵(コタツ)とくれば、日本の冬の3点セットですね。コタツは炉の上に櫓(やぐら)をかけ布団で覆って暖をとるもので、他に火燵・火闥・火榻などと書きます。大きくは、掘り炬燵と置き炬燵の2種類に分かれます。 掘り炬燵(切り炬燵)は、もともと囲炉裏の上に櫓を置き布団を掛けたもので、歴史は古く室町時代に登場しました。初めは、囲炉裏の火が「おき」になったときに上に櫓をかけ、紙子(かみこ)などをかぶせて、櫓に足をのせ暖めていたようです。江戸初期には御所の中などにも、掘り炬燵が設けられていました。大部屋用には、大炬燵という長方形の大きな炬燵もありました。これらの炬燵は床を掘り下げた炉の周囲を石で囲み、木製の炉縁を入れて格子組みの櫓をかけたもので、床面(畳)に腰掛けたところから腰掛け炬燵とも呼ばれました。元禄時代には一般にもかなり普及していたようで、大坂辺りでは既製品の炬燵櫓が売られています。 置き炬燵(岡炬燵)は火鉢と櫓を一体化して布団を掛けたもので、こちらは可動式が最大の長所でした。現代の電気炬燵はこの系譜ですね。置き炬燵が登場したのは、畳が一般に普及した江戸時代。土火鉢という瓦製の安物の火鉢を、初めは壊れやすいので木箱に入れて使っていたのですが、後に櫓に替えて布団をかけるようにしたものです。 慶応3年(1867)、京都・近江屋で暗殺された坂本龍馬は、当日、風邪気味だったため、よく映画などでは炬燵に丸まっていますね。が、当時の武士は炬燵に近寄ることを、潔しとしない風習だったとか。また、武家の奥方が炬燵でうずくまることなど、もってのほかとされていたそうです。やっぱり町人と違い、武士は何事にもガマンをしたんですね。 炬燵が発達した裏には、木綿生産の伸展による木綿布団の普及と、木炭・炭団などの燃料生産の増大が、大きな要因としてありました。炭団(たどん)は木炭の粉を、ふのりなどで丸く固めたもの。庶民の燃料として近年まで活躍しました。しかし、炭火はおこすのに手間が掛かるうえ一酸化炭素中毒の危険もあり、昭和30年(1955)頃からは徐々に電気炬燵が主流になりました。 |