◆今日の一品◆ |
今日も全タウン再配布のみでしたので、ほのぼのタウンの「チョコレート」をご紹介します。 拡大する前は明治の板チョコにそっくりなのですが、拡大すると、色のパターンが逆になっていることに気が付きます。 日本にはじめてチョコレートが伝わったのは、寛政9年(1797年)3月頃、長崎丸山「後屋平右衛門さんからの届出に、同人抱遊女大和路の貰い品として「しょくらあと 六つ」と記載されています。当時のチョコレート(「しょくらあと 」)は今でいうココアやチョコレートドリンクのようなものだったらしく、「しょくらあと」の飲み方、味が記されています 明治3年(1870年)遣欧使節がフランスでチョコレート工場を見学したことが報告日本で初めてチョコレートを商品として加工・販売したのは、東京・両国若松町にあった米津風月堂(店主米津松蔵)と言われています。明治10年(1877年)11月1日の東京報知新聞に「新製猪口齢糖」として、掲載した広告が残っています。 当時は、チョコレートの当て字として、[貯古齢糖]、「知古辣他」が使われていました。当時は原料チョコレートを輸入しての少量の製品加工でした。チョコレート取扱店(主として輸入品)は、銀座の亀屋、明治屋、函館屋、本郷の青木屋などがありました。 チョコレートはまだまだ庶民の口に入るものではなく、輸入品あるいは輸入原料によるチョコレートは極めて高価で、一部特権階級や外国人相手のものでした。 国内で生産が本格化したのは、明治32年(1899年)で森永商店(現森永製菓)は原料チョコレートを輸入し、クリームチョコレートの製造を始めました。日本のチョコレートの工業化の始まりです。また、同商店は明治42年に板チョコレートの製造も始めました。 |