Diary 2001. 1
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1月31日(水)   バイバイ・ポータブルちゃん

晴れのち曇り(8.5/3.2)

蛭川先生の診察でポータブルがとれることになった。まだ救急車で運ばれてきたことでいじめられたけど・・・。これで3階のフロアーのみ移動可能。自分でトイレに行けるって、幸せぇ〜。バイバイ・ポータブルちゃん。

と、言うわけで公衆電話もお茶汲みも、やっとできるようになったわ。まだ点滴のポールは引きずったままだけどね。
1年前の今日は、ネットにビシバシ繋いで遊んでたのに、1年後はベッドの中で過ごすことになろうとは予想もしていなかったわ。初めてOdigo(オディゴ)入れたのも今日だったし。そんなOdigo記念日は病院食のディナーでお祝い。

◆写真◆
たとえ3階フロアーだけでも歩けることが、ベッドの上しか知らなかった私にはうれしかったわ。

1月30日(火)   シャバのものが恋しい!

晴れ(9.5/1.1)

待ちに待ったシャンプーの日!!
9日間もシャンプーしなかったなんて、生まれてはじめてよ。廊下の一角に美容院のシャンプー台と同じものがあって、そこで看護婦さんにシャンプーしてもらった。美容師さんより下手だけど、有りがたかったわよ。看護婦さんって、大変よね。ほんとになんでもしてくれるんだもの。感謝、感謝。

シャンプーしてもらったし、シーツも交換してもらったし、パジャマのお着替えもしたし、久々にリフレッシュ!!
点滴の針、刺しっぱなしだから、一人で着替えができないのよね。看護婦さんに頼んで1回チューブを抜いてもらわないと、袖がとおらないの。毎日のタオルでの体拭きもそう。背中は看護婦さんに拭いてもらうの。
この蒸しタオルなんだけどさ、病院仲間とも話してるんだけど、なんとも言えないにおいなんだよね。普通、石鹸の香りとかしないか? とても顔を拭きたい気分じゃないよぉ。そりゃ、拭かないよりはマシだけどね。頼むよ、石鹸のにおいのタオルにしようよ。
入院生活も9日が過ぎて、最初は「うまいっ!」と思っていた病院のご飯も、飽きてきちゃった。スパイスの効いたパンチのあるものが食べたいし、体に悪そうなジャンクフードやファーストフードが妙に食べたかったりするのよね。
差し入れに頼んだ「ごんぶとカレーうどん」が感動的においしかったわ。あぁ、シャバのものが恋しい、今日この頃。

1月29日(月)   もう少しがんばりましょう!

晴れ(8.8/2.4)

今日で入院生活1週間。蛭川先生の診察で、ポータブルが外れることを期待した私だったけど、内診もなければ、エコーもなし。問診だけで「じゃ、もう少しがんばりましょう。」って、言われて終わってしまった。えぇ、まだポータブルじゃなきゃ、だめ?(泣)

私がいる病室はお産前の人専門の病室でナースセンターを挟んだ向かい側の列はお産後の人専門の病室になってる。NICUがある病院って、都内にもそうあるもんじゃないんで、かなりヤバイ状態の人とかは、まっさきにここへ運ばれる。赤ちゃんの体重が500gあれば、この病院では命の保証をしてくれるらしい。あくまでも「命」のみ保証だけど・・・。今までお産はごく自然なことで、そうそう問題なんて起こるはずないと、思っていたお気楽妊婦の私。この病院にいると、お産って安全に済むことの方が珍しいんじゃないかと思ってしまうくらい、いろんな問題を抱えた人が入院してくるのね。逆子で前置胎盤で、なおかつ子宮筋腫ありとか、つわりでどんどん痩せゆくから点滴で栄養を補給するしかないとか。臨月まで経管がもちそうにないから、縛る手術する人とか。妊娠してからずっとここに入院している人もいる。そんなお産前の人のあこがれは向こう側の病室に移ること。お産した後はあっちの病室に移動するからね。赤ちゃんをいれた箱を押しているお母さんの姿を夢見て、3ヶ月、6ヶ月とここで入院している妊婦さんもいるんだもんね。

この世の不幸を背負った気分だった私の、この(食中毒という)症状はとんでもないことだと気がついた。

それにしても、苦しみまくって運ばれたときに書かされたアンケートはなんだったんだろうか? 朝ご飯にしっかり納豆が出てきとるやんか?!

1月26日(金)   レベルが違うのよ

雨のち曇り(7.7/3.8)

涙いっぱい出た。
朝の回診で蛭川先生にトイレくらい一人で行ってもイイかと、聞いたのが間違いだった。「あなたはうちの病院に通ってて、入院になった人と違うのよ。私の患者さんと同じレベルじゃないの。そんなにポータブルがイヤなら、バルーンをつけてもいいわよ。」と、意地悪を言われた。バルーンとはカテーテルを挿しっぱなしのポータブルより、最悪な状態だよ。「あなたは自分がどういうレベルなのか、自覚がないのね。」と、捨て台詞を言いながら、彼女は去っていった。んなこと言ったって、私は先生からちゃんと病状の説明うけてないもん。
さらに、看護婦さんにオフロのことを聞いてみたら、やっぱり最低でもポータブルがとれないと、入れないらしい。「週に1回シャンプーと週に2回足浴の日があるからね。」と、にっこりされた。で、シャンプーはいつ?と聞いてみたら、来週の火曜日だってさ。うっそー!! それじゃまる9日間、シャンプーできないってこと?
超かなしい! こんなことなら吐きながらでも、おフロに入ってくれば良かった。・・・って、そんな余裕なかったけどね。

1月24日(水)   ベッド以外の世界が知りたい

晴れ(8.6/1.8)

病室はめちゃくちゃ暑い・・・。
室温は新生児にあわせて30度に設定されてるの。やたらとノドが乾くけど、ベッドから下りてはいけないこの私。お水すら、看護婦さんに頼まないと汲んでこれない。頼みの綱はお見舞いの人に頼んで、下の売店でお茶とかのペットボトルを買ってきてもらうこと。患者さんが使っていい冷蔵庫がどっかにあるらしいけど、同じく歩けないから、これも使えないんだよね。だから、買ってきてもらっても飲む頃には室温と同じ温度の飲物になってるの。

そう言えば、お見舞いに来る人が「ここって、いい病院だよね? かっこいいよね?」って、言ってくれるけど、救急車で運ばれて、ストレッチャーでベッドに運ばれた私は、カーテンで仕切られたこのベッドしか知らない。
そうか、この病院ってかっこいいのか? ベッド以外の世界が知りたい。

1月23日(火)   シャレにならない状況

曇りのち晴れ(9.3/3.4)

めったに具合が悪くなることのない頑丈な私は、ひとたび入院という状況におかれただけで、この世の不幸をすべて背負った気分に陥ってしまった。同じ病室の人はやたらと明るくお話してるし、とても元気に見える。おまけにポータブルを使っているのは私だけ。とてもカーテンを開けて、 仲良くしてね!なんて言える気分じゃない。陣痛はなんとか納まったみたいだけど、点滴の針は刺しっぱなし。当然オフロなんて入れるわけないし・・・。看護婦さんが蒸しタオルを持ってきてくれて、それで体を拭くくらい。あぁ、私は脂汗かいて吐きまくったのよ。お願い、シャワーでいいから浴びさせてぇ〜。そんなこと言えないけど・・・。

夜中、また吐きまくり。おまけに点滴の針から血が逆流して、シーツはスプラッター。ますます重病人気分が炸裂

シャレのひとつも出ない、暗〜い私であった。

1月22日(月)   救急車に乗る!!

曇り(9.2/4.6)

夜の10時半ごろ、ものすごい吐き気!! そのちょっと前までパパと普通にお話してたのに、それからの約8時間は地獄の苦しみ!! もう吐くものなんてないのに、吐きつづけて、挙句に明け方からは今まで体験したことのないような腹痛。

これって、なんで?
ゆうべのご飯は湯豆腐だしな。
私は胃腸の丈夫さには、誰にも負けない自信がある女よ。1年で1回、おなかを壊すかどうどうかっていう感じ。そんな私がこの痛み。尋常じゃないわ。昨日の法事のお料理?
時間が経ちすぎてるし、ダンナはなんともないし・・・。ともかくわけのわからない宿直医に診てもらうのはイヤだったので、朝まで耐えつづけた私。

7時になって、吐き気は収まったものの、おなかの痛さは10分おきに波がきて、かつて味わったことのない、思わずうめいてしまう痛さ。ダンナを起こして救急車を呼んでもらった。
しっかし、救急車がきたものの、受入先の病院が決まるまでに約50分。救急車の中で待機することになっちゃった。その間、腹痛の感覚がだんだん短くなってきて、7分間隔。そのときになって、「これって、陣痛?」ってはじめて思った私はなんて、お気楽なママなんでしょ?!
まだ週数が足りないということで、転院予定だった「下谷病院」に拒否されちゃって、NICUの設備のある都立大塚病院に搬送されました。しかぁーし、搬送されるまで50分もの間、救急車の中で待機。これじゃ、もしもの時は死んどるよ!

さてさて、大塚病院に運ばれた私を待っていたのは、一見看護婦さんに見える若い女医さん(のちの担当医:蛭川先生)の怖い顔。陣痛で苦しんでいる私に「なぜ、いきなり救急車を呼んだりしたの?」って、文句たらたら。妊婦は救急車を呼んではいけないらしい。だってぇ、陣痛だって知らなかったんだもん。ただの食アタリだとばっかり・・・。先生、そんなことより、早くなんとかしてよぉ。
そんな苦しみまくってる私に、手術の同意書やら、入院アンケートやらに記入させる看護婦さんって、オニだわ。え? 万一の場合、このまま帝王切開するっていう同意書? マジ? 食べられないもの、ありますか?って、今答えなきゃだめ? 納豆よ。納豆!!

先生の内診の結果、子宮口が3センチ開いているということで、緊急入院。ウテメリンっていう陣痛を押さえる点滴をして、絶対安静状態。お手洗いすら1人で行ってはいけない状態。通称ポータブルって言われるオマルを準備された。

そんなこと言ったってさ、6人部屋よぉ。いい年した女がそんなんでできるわけないじゃん。もう涙出てきちゃったわよ。
この日から10日間、ポータブルのお世話になったのは言うまでもない・・・。
それから、この時点では食中毒だったとは、誰一人知るよしもなかった。
ウテメリンが効いて、陣痛はおさまり、赤ちゃんも元気。ひとまずほっとしたわ。

◆写真◆
左上)点滴のウテメリン。マスコットのモモちゃんをぶら下げてみました。
右上)303号室の雰囲気。閉ざされたカーテンがちょっとコワイ。
左下)これがポータブル。

1月17日(水)   とんでもない間違い!

晴れ(7.3/-0.2)

う〜ん、それにしても腑に落ちない・・・。とにかく二人も検査に行って!と先週、私が言ったので二人とも検査をしたけど、結果はシロ。あんた、それじゃ、まるで私が・・・。

そこで別の病院で、もう1度検査をしなおすことにした。今度の病院は結構大きいところ。ダンナの妹さんもそこで生まれた、っていうくらい古くから地元にある「下谷病院」。ここでいいかな?って、前の病院に行く前に考えていたけど、いかんせん古い。古いからコワイ。ここに入院したら、夜、学校の怪談みたいな妖怪がいっぱい出てきそうでイヤだったんだもん。でも事情が事情なんで、個人病院を避けてきてみた。

看護婦さんも古〜い(おばちゃんばっかり)感じ。おまけにココは下町。クチが悪いからねぇ。でもなんか安心感が持てるね。
先生のカウンセリングも丁寧で、1時間近くもお話した。この時点で、私は転院を決めてたね。<br>で、すぐに検査の結果が出て、な、なんと前の病院(もしくは試験場)の検査ミス!ってことが判明。私もシロだし、痕跡もないと言われちったよ。そんなのって、ありぃ〜?<br>うちは家庭崩壊の1歩手前までいったのよ。間違いでしたで済まないわよ。来週からここにするわ。この病院では初診なので一通りの検査をして、「あぁ、また諭吉が消えていくのね・・・。」と、覚悟してたら、え?っていうほど安い。今までの病院で払っていたのは高過ぎるんじゃないかい? さっそく明日、転院するって言いに言ってやる。
本日の診察料:\1,760也

1月11日(木)   家庭崩壊の危機?! 犯人はだれだ?

曇りのち晴れ(11.1/5.9)

お正月に食べ過ぎちゃった気がするので、病院に行くのが恐かったんだけど、体重は年末と変わらずで、ホッとしてたのもつかの間。この前の検査でSTDにかかっていると先生に言われ、目の前が真っ暗! そんなバカな?! だって、それってそういうことしてないとならないはず。私、キッパリと身に覚えがないわっ!

とにかくこれから毎日、消毒に通うように言われ、ダンナの分の薬も出された。ダンナの分は保険がきかないって、本当? 4粒で5000円もするのぉ?

う〜ん、それにしても腑に落ちない・・・。おうちに帰ってからもWEBで調べたりして、原因の追求をする私。
ダンナ、また風俗に行ったかな・・・タオルでうつることもある? って、ことはうちに入り浸っているヒロもヤバイ?
そこでヒロも呼んで、おうちで3人で話し合い。ダンナは風俗のことをゲロするはめになったし、なんだか険悪なムード。あたしには、ぜんぜん見に覚えがないんだからね! とにかく二人も検査に行って!
あぁ、新年そうそう・・・。あぁ、重い身体で毎日通うの? 超BADな気分。
本日の診察料:\13,430也

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